○ 2ちゃんねるとこすもぐ
サービス開始前後はユーザも情報に飢えているので憶測が飛び交い
2chのような即時性のある情報源が、どうしても主流になります。
どういう手順でテスター応募をすればいいのかも載っていましたから
実際多くの人の情報交換の場として活躍してくれていました。
2chと切り離せないのが、森川日記の存在です。
ずっと以前に閉鎖されたので、もう知る人は少ないかもしれません。
こすもぐ世界の生みの親が、βから公開していた日記でした。
どうしてあの時鯖落ちしたのか?あのバグはどうなるのか?
そういったツボに入る情報が書いてありました。
公式サイトの情報は表向きのもので、あまり良い表現ではありませんが
体裁すら整っておらず、誠意の感じられるものでは無かったんです。
その分日記の方は、良い部分も悪い部分もさらけ出された内容で
批判されるスキだらけではありましたが、誠意を感じるものでした。
そのため支持者も多く、始めは天の声のように皆の希望の源になり
重要な情報源かつ、裏話を聞ける場として受け止められていました。
しかし不具合が多く、負荷も高く、皆の不満が爆発しそうな時でも
公式サイトがまだそれに答えるだけの機能を果たしていなかったため
批判はその日記と筆者へ一点集中していきました。
いわゆるスケープゴートになってしまったわけです。
負の部分を隠し、詳しい事を何も語らない公式の発表と
手の内を見せる事で理解を得ようとする日記の差があまりに大きく
弱みを見せた日記の方に、自然と視線が集中してしまったのでしょう。
これからどういった機能が追加される予定なのかも書かれていました。
どういう遊びを加えていきたいか、夢の部分も書かれていました。
開発者が一般ユーザに紛れてログインしている事も書かれていました。
最初はそれらをワクワクしながら読み、期待に胸を膨らませて待つ
ごく普通の感覚で受け取る人たちが多数派でした。
しかし製品版が予定通りに無理矢理発売される事を知ったあたりから
懐疑的、批判的な意見が徐々に増え始めます。
追加については、最低限必須のものさえ機能していなかった頃なので
まだか?まだか?と、今日にも改善されるのを期待していた人たちが
「宣言した事を実行しない」と批判するようになりました。
夢の部分に関しては、夢以前に土台をしっかりしろと責められたり
予定に無いなら期待させるなと批判されたりしました。
ログインしている制作者たちは「サクラ」「関係者」と呼ばれ
βテストが盛り上がってるのはその人達が扇動しているからで
実際は内輪ウケのダメゲーなんだと言い出す人たちが生まれました。
それ以降は、2chのスレで擁護するレスが付くと
関係者が来た、MuuMuu信者が来たと煽られ、攻撃されました。
日記でも2chでの批判に呼応するような記述があったため
声が届いている事が分かり、2ちゃんねらー達を余計に刺激しました。
この傾向が加速して、本サービスが開始して間もなくから批判一色。
その影響か、ゲーム内での会話にも批判が多くなってきました。
森川日記は突然消えることとなりました。
一種の企業秘密でもある、開発の進行について発表しすぎて
しかもその結果、強い批判を招き入れる原因にもなったということで
SQUAREENIXから削除を命じられたというのが、2chでの通説でした。
中立的な立場から見ると、批判も祭りの一部だったという印象です。
最初の期待が大きかった分、可愛さ余って憎さ百倍。
私のようにそんな空気はどこ吹く風で楽しむプレイヤーも居ましたが
2chに触発されて、こすもぐを見限ってしまった人も多く居ました。
何かに少しでも不満を感じた時というのは
前向きな擁護よりも批判に同調してしまうのが人間のサガですし
ネトゲ選びをする時、まず2chで情報を確かめる人は多いですから
これが最初のプレイヤー減少の要因になった事は否定できません。
どうしてウマー村にだけ道徳おじさんが居るのか知ってますか?
これを知っている方も、もうかなり少数派でしょう。
2ch用語に「ウマー」という言葉がありますが
最初にMAPが公開され、皆が入植する場所を選んでいた頃に
「おい、俺たちの村があるぞ!」と2chで声が上がったんです。
多くの2ちゃんねらー達が祭りに参加するためにウマーに集結して
「ウホッ!いい男」を合い言葉に裸で盛り上がりました。
この合い言葉については18禁の類になるのでここで説明はしませんが
こすもぐのキャラが服を脱ぐと●が出るのが大ウケして
当時流行の2ch系のネタと連動して、盛り上がりに一役買ったんです。
そしてウマー村には裸で練り歩く人が溢れかえり
運営側の道徳心かシャレ心か、道徳おじさんが急遽設置されました。
私が本サービスでパークを選択して入植したのもこれが理由です。
2ちゃんねらーはパークのウマーに集合!と声が上がったため
他に特に理由も無いし、面白そうだからパークに…と考えました。
徐々に人が少なくなり、サーバごとの雰囲気の違いも薄くなりましたが
パークが長く混沌とした雰囲気だったのはこれの名残かもしれません。
β期間には様々なデータが試験のために解禁されていたので
本サービスで一旦封印されたような、コアな攻略情報も判明しましたが
これは2chの組織力と即時性無くしては、あり得なかった事です。
良くも悪くも、こすもぐと2chは深く関わっていました。
2chという独特なコミュニティが生んだ初期のこすもぐの歴史は
それから先の攻略のヒント、期待感の源となる情報群や
行き過ぎの批判によるプレイヤーの減少とともに、
今も忘れがたい、沢山の濃い想い出も残してくれました。